和田公方わだくぼう屋敷跡

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甲賀の複雑な地形と勇猛な甲賀衆が守っていたこの地は、時の権力者の格好の潜伏地となった。

公方屋敷跡は、室町幕府将軍ゆかりの史跡です。永禄八年(1565)室町幕府一三代将軍義輝が三好三人衆らにより暗殺された後、その弟である一乗院覚慶(後の将軍義昭)は奈良興福寺で幽閉の身となりましたが、甲賀武士、和田惟政の手引きによって興福寺を脱出、この地に一時、潜伏していました。この場所は、当時の居館の跡と言われてきました。
惟政にかくまわれた覚慶は、この地から幕府の再興を目指して、諸国の大名に援護を求めました。その後、覚慶は還俗して義秋と名乗り、越前を経て永禄十一年(1568)には義昭と改め、織田信長を頼って上洛、室町幕府一五代将軍となります。
都に近く、山々に囲まれた甲賀の地は時の権力者が身を潜めるのには格好の地でしたが、そのことが、こうした山間の地に中央政界とつながりをもつ和田惟政のような有力武将を生んだのです。

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