• リアル忍者を求めて
  • 忍者発祥の地、伊賀・甲賀
  • 丘陵に囲まれた城館の宝庫
  • 地域の平和を守った忍者たち
  • 多彩な生活文化を育んだ伊賀・甲賀
  • 今に残る忍者の面影

忍者は今やテレビやアニメを通じて
海外にまで広く知れ渡り、
奇抜なアクションで
人々を魅了している。
忍者の名は広く知られていても、
真の姿を知る人は少ない。
伊賀・甲賀は忍者の発祥地として
知られ、その代表格とされてきた。
複雑な地形を利用して
数多くの城館を築き、
互いに連携し自らの地を治め、
地域の平和を守り抜いた集団であり、
伊賀・甲賀流忍術は、
豊かな宗教文化や
多彩な生活の中から育まれた。
忍びの里に残る
数々の足跡を訪ねれば、
リアルな忍者の姿が
浮かび上がる。
伊賀・甲賀、
そこには、戦乱の時代を
駆け抜けた忍者の伝統が
今も息づいている。

忍びの里 伊賀・甲賀 イメージ画像
忍びの里 伊賀・甲賀 イメージ画像

リアルな忍者を
求めて

リアル忍者を求めて

忍者、その魅力と謎を探る。江戸時代の伝説から現代のアニメの英雄まで、彼らの歴史は長く人々を魅了してきた。17世紀には「Xinobi」として世界に知られ、戦国時代の陰の活躍は今も謎に満ちている。忍者の真の姿、"リアル忍者"の世界への扉を開け、その神秘に迫る。

忍者発祥の地、
伊賀・甲賀

忍者発祥の地、伊賀・甲賀

忍者の発祥地、三重県伊賀と滋賀県甲賀。その歴史は、江戸時代の地誌「近江輿地志略」に記され、"伊賀甲賀の忍者"として知られる。"甲伊一国"とも称され、京都や奈良に近いこの地域は、古来から情報の要衝であり、軍事的にも重要な地だった。伊賀、甲賀から忍者や忍術が生まれた理由を、忍びの里を巡る旅で解き明かそう。

丘陵に囲まれた
城館の宝庫

丘陵に囲まれた城館の宝庫

忍者の故郷を巡ると、奇妙で美しい風景に出会う。丘陵に囲まれ、迷路のように続く道。集落は隠れ里のようにひっそりと谷間に潜み、上空からは複雑な谷地形が広がっている。この地形は約300万年前の古琵琶湖層が侵食されて形成された。丘陵の先端や谷の入口には城跡があり、侵入者を迎え撃つ理想的な地形である。石垣ではなく土塁で囲まれた城館は、伊賀、甲賀で800箇所以上にも及ぶ。この地域がどのようにして忍者の組織と密接に結びついたのか、その歴史を探る旅へと誘おう。

地域の平和を
守った忍者たち

地域の平和を守った忍者たち

忍者の実像は、「伊賀衆」「甲賀衆」と呼ばれる地侍たちだった。戦国時代、大名がいないこの地域では自治が発達し、地侍たちは「伊賀惣国一揆」や「甲賀郡中惣」などの自治組織で団結し、地域を守っていた。彼らの結束は「一味同心」と称され、すべては話し合いで決められていた。この組織的な力は、城館の分布にも現れており、大きな城はなく、同じ形の城館が密集している。しかし、天下統一を目指す織田信長や豊臣秀吉の出現により、これらの自治組織も変化を迎えた。それでも忍びの技術は重宝され、特に徳川家康を護衛した「神君伊賀越え」は今も語り継がれている。忍者の歴史を深く探る旅へ、あなたを誘う。

多彩な生活文化を
育んだ伊賀・甲賀

多彩な生活文化を育んだ伊賀・甲賀

忍者の日常は、農耕と武芸の両立だった。伊賀の「伊乱記」には、午前中は農作業に励み、午後には寺で武術の稽古をしていたと記されている。戦時には、村人全員が得意の武器を手に戦いに参加したのである。伊賀と甲賀では、農業の他にも多様な職業があった。奈良時代からの木こりや山伏の伝統があり、自然豊かな環境で身体を鍛え、諸国を巡り情報を収集していた。忍者の技は、日々の生活や知識、技術が基になっていて、決して荒唐無稽なものではなかった。火薬や薬の知識、呪術や天文学など、忍術は伊賀と甲賀の進んだ技術や宗教文化、そして人々の生活から生まれたものである。忍者の実際の生活に迫る旅へ、あなたを招待する。

今に残る
忍者の面影

今に残る忍者の面影

伊賀と甲賀の山々に登れば、山岳仏教の霊地とその歴史に触れることができる。苔むした石垣に囲まれた寺院跡、数多くの石造物、そして今も山伏が読経する甲賀の飯道山。こうした場所は忍者の精神修行の地であり、自然の中での厳しい訓練の跡が感じられる。里に下りれば、平安時代からの仏像や、忍者たちが集まった鎮守の社があり、地域の宗教文化の深さを垣間見ることができる。土造りの城館や四角く高い土塁で囲まれた屋敷は、戦国時代の世界を今に伝える。忍者が得意とした火薬や薬は、現代の花火や薬の町としての産業に生き続けている。エンターテインメントとは異なる、穏やかな風景の中に息づく忍者の痕跡。伊賀と甲賀の忍びの里を訪れ、忍者の真実に迫る旅へ。

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